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今週もこの時間が来た。
毎週この時間が来ると少しのだるさを感じる。
自分で始めたことに対してだるさを感じているのもなんだかなぁって思うけれど、めんどくさいものはめんどくさい。でもそれも、書き始めてしまえばすぐ消える。
なんだかんだで文章を書くのが楽しいんだなと思う一瞬。
今週も人のお題を頼った。
なんだこのシンプルかつ意味の分からんお題は。
10万円。
もし今あれば何に使うのか、って話が一番夢があっていい。
今だとギターがほしいな~とかスマホがほしいな~とかそんなちゃっちなことを考えてしまう。だってほしいしね。
何にお金を使うことを重視するタイプなのか、って自問自答することが時々あるけれど、食べ物でもなく服でもなく趣味でもないので一体何にお金を使うんだろう。って本当に思う。
その割に手元に残ってないんだよな~
しいて言うなら楽しむことにお金を使うことが多い気もする。
物質的満足より経験的満足を重視してるのかな、なんて思う。
音楽が好きだから、よくアップルミュージックとかSpotifyとかを使うけれど、物質的なCDを手に入れて満足するわけではなくて、音楽を聴くって行為にお金を払っている。
その経験にお金を払っている。
自分の手元には一切の物質が手に入らないので、モノが欲しいって満足度は全くない。
だからこそ、ファンとしてモノを買う、手に入れるって行為が大切だな~なんて思ったりもする。
そうすればモノと経験の両方を手に入れることができるから。その分費用はかさむけど。CDって地味に高い。
そんなことを言いながらギターほしいとかスマホほしいとか思ってる。
だって、使いたいものは使いたいし、弾きたいものは弾きたいよね。
あーーーギター弾けるようになりたいな。ベースも楽しいけど違う楽器もしたい気分。
テーマ:は本文中に書いています
はてなブログ公式のお題作成サービス的なものを使ったら、謎のurlがブログの本文中に貼られてしまった。
これを公開したらどんな風に表示されるのかすごく気になる。
気になりながら文章を書き始めたので集中できなくなって変な文章になってたら悲しいと思いつつ。
先週、先々週と更新が遅くなってしまったので、今週は学習して日曜日の午前中に書き始めている。人間とは学習するものである。
ということで今回は好きなシリーズものというテーマを選んだ。
ドラマだったり映画だったり漫画やアニメ、小説とかから考えるのがベターなんだろうなーと思ったので、ずっと好んでいる作品を考えてみたけれど、意外とない。
わりと飽き性なタイプなので、一つの作品・シリーズを追いかけるということをあまりしない。
食べ物とかでも考えてみたけれど、ぱっと思いついたのはエースコイン。
自分でも不思議なことに、数あるお菓子の中でついついずっと選んできたのはエースコイン。別にめちゃくちゃ美味しい訳でもない。普通にビスケットとしては美味しいけれど、人に推す程とは思ってない。
多分、いろんな要素が重なり合って好んでいるのだと思う。
まず、そのデザイン。
コイン柄ってなんかかっこいいし、袋の中にいくつもの種類があってそれを探しながら食べるなんて男心をくすぐる。パッケージも種類がたまに違うのがあってつい喜んで買ってしまう。男心は単純。
次いでコスパ。
100円ぐらいで買えるビスケット菓子の中で一番コスパいいんじゃないかと思っている。実際にはもっと量が多かったり美味しいものもあるんだろうけど、上述のようにデザインを見ながら食べるので、意外と長持ちする。
珍しいデザインだと名残惜しくなりながら食べるから、無駄に満腹中枢を刺激されておなか一杯。
そして希少性。
ほんとに見つからない。偶然今住んでる家の近くのスーパーにはたまに存在する。
ただ他のスーパーで見かけたことがほとんどない。
隈なく探す程のお菓子ではないから見逃しているのかもしれない。
とはいえ、ファンから見ても大きなスーパーのメイン処に並ぶタイプのお菓子でもない気がする。小さなスーパーの端っこくらいにたまに見かけて、「うわ~あった~~。」なんて思いながら買う、ぐらいがちょうどいい。
そんなインディーズ感あふれるお菓子。エースコイン。
私しか知らない普遍的なお菓子。エースコイン。
あ、味はふつうに美味しい。ふつうに。別に取り立てて取り上げる程のものではない。
好きだけど。
話が大きくそれてしまった。
色々考えた中で、唯一ずっとそれなりに追いかけてるシリーズものがあった。
石田衣良さんの作品で、「池袋ウエストゲートパーク」シリーズ。
ずいぶん前にドラマになったりもしたシリーズは、作品が描かれた当時に起きている事件や物事を物語的に捉えて作品に仕上げているから、当時の日本社会(特にサブカル方面)を知るのにも最適。
カラーギャングなんてリアルタイムでは全く知らないけれど、作品で見てすごくワクワクしたことを覚えている。
時間軸的には、サザエさん世界を取り入れつつ、少しずつ登場人物の状況が変化していく。
分かりやすい勧善懲悪みたいな物語っぽくもありつつ、当時の社会の暗い部分にもフォーカスされていて後味が良くない雰囲気もあったり。
どこが好きなのかといわれると、
漂うサブカル感
リアルとフィクションの混濁感
物語の短さ
あたりがちょうど自分に合っていると思っている。
特に最後の物語の短さが重要。
全体的にはつながっている作品なんだけれど、一つ一つはぶつ切りだから一気読みしなくてもなんとなく話を掴める。
もちろん登場人物の背景なんかは過去の作品を見たりWikipedia見たりしないと分からない部分もあるけど。
そんなサクッと読める作品だから気負わずに読める。だから好き。
長編も面白いんだけれど、読んでる途中に切るのが難しいから若干疲れる。
飽き性な自分がなぜか追いかけてられるのも、そんなところからきているのかも。
これでほとんど自分の思いは書ききった。
前回、公式のテーマを使ったからか別のユーザーが投稿を見てくれたようでなんとなく恥ずかしい。本当に自分用の日記みたいなものだから照れる。
テーマ:が思いつかなかった
お題「#この1年の変化 」
毎週の更新をするつもりが週末出掛けたことで疲れてしまって、何もできなかった。
その罪悪感が心に存在するということは、更新をすることが習慣付いてきているということなんだと思う。
すべきことをしなかったときに罪悪感を味わうものだから。きっと。
ということで、毎回テーマを自分で考えて投稿していたのですが、もう思いつかなくなってしまったので、公式のお題に頼りたいと思います。
この一年の変化。
2020年全体を通して今までにないことが多く、良く言えば刺激のある、悪く言えば未来の見えない。そんな一年だったのかもしれない。
誰もがコロナウイルスの影響を考えざるを得ない状況になってしまった。
多少楽観的な視点で見ると、将来教科書に載るような出来事にリアルタイムで遭遇するなんてそうそうないから、直接自分や周りの人が苦しまない分には少しワクワクもする。オリンピックが延期になったり中止になるかもしれないなんて状況本当に味わえないと思う。
だから、こんな状況でもそれなりに気楽に生きていられるのかも。
悲観的な視点で見ると、将来への不安は増加する一方だし、自分がかかったときどうなるのかが全く想像がつかない。いや苦しいんだろうな、程度にはわかるけれど。
個人的には、人と出会う場を増やすために2020年は行動する割合を増やそうなんて思ってた矢先に外出自粛って状態になってしまって、あまり人と触れ合ったり出会ったりする機会がなくて残念。
その代わり、サブスクサービスを使って今まで見るつもりもなかったドラマや映画を見ることが多くなった。あと新しいことを始めないと、って気持ちを多く持つようになった。
このブログを更新するようになったのもそうだし、勉強することも多くなった。
好きなものに対して好きって気持ちを再確認したのも、この一年で大きなことだった。
対人ではなくて趣味の話だけれど、
音楽だってライブハウスに当たり前のように行っていた頃に比べて、生で音楽を聴ける環境がそこにあるっていうのは、素晴らしいことなんだと思うようになったし、厳しい状況でも頑張るアーティストは応援したいと思っている。まぁお金あんまりないので直接的な支援はできないけど。お金あればライブハウスとかやって直接場所提供したりしてみたいよね。
サッカーだってフットサルだってそう。
当たり前のように試合ができる、見られるって環境じゃなくなってから、生で見られるプレーができるっていうことの素晴らしさを実感することになった。
意外と変化に対応していたり順応していたりする実感はあるんだけれど、自分の感覚と他人の感覚は当然イコールじゃないから、自分が思う「それは大丈夫」「それはよくない」って感覚を改めて整備しないといけない気がする。
今までの共通認識とか慣習、感覚に対する今の状況への感覚が大きくずれている。
本音をいうと普通に遊びに行きたいし、夜通し酒飲みたいし、ライブハウスでエモくなってモッシュとかしてたいよね。
テーマ:夢のこと
いつもなら日曜日の夜に一通り書いてアップロードして寝るのがルーティーンだったのですが、土日が割と忙しくて忘れて寝てしまった。
寝てしまったということで、夢の事を書きたくて。
最近ほんとによく夢を見る。
それも昔の友達とか苦手だった人とか、いじめてきたあいつとか仲良かったあいつとか。ほんとに子供の頃の登場人物ばかり今の夢に出てくる。
なんでなんだろう。
よく聞くのは、ずっと引きこもってると登場人物がアップデートされないから、昔の友達とか知り合いがそのままの姿で出てくる、なんてことはよく聞く。
俺、ずっと引きこもってない。なんならわりとアウトドア派。
そんなときにふと思ったのが、夢が見れなくなって夢を見るようになった。ってしょうもないこと。
普段、社会人として生きていると将来の夢とかこうなりたい、っていう無謀な野望を抱えられなくて、なんとなくリアルなラインの目標設定をしがち。
目標設定があるならまだ先を見据えてるほうで、実際はその日の何かをクリアするだけで精一杯なんてこともよくある。
自分でわざわざ言うのもどうかと思うけど、夢をあきらめる程の夢を持ったことがなくて気づけば今に至ってるようなタイプだから、夢を持っていたり追っていたりする人への憧れはすごく強い。
そんな風になれないっていうのもわかってるけど。わかっているふりかもしれないけど。
夢が欲しかった。
歌詞でも書いてるのかと思うような歯が浮いた文章だなぁと思ってしまった。
だけど、そういう文章のほうが自分らしいような気がしてしょうがない。中途半端にまじめに書こうとしてたけれど、そのまじめさにばっかり目線が行っていて、書きたい事をかけていたのかというと定かではない。
夢を見れるような年齢じゃなくなってきた。
寝たら夢を見るような年齢の夢を見るなんて心の青さが顕著なんじゃないかな、とか。
好きな音楽もドラマも映画もどこかに青さが残ったような作品が好きで、きっとこれは当分変わらない。
だからロックバンドを聞いておじさんは拳をあげてしまうんだろうね。
スーツ着てライブハウスでステージを見て熱くなる金曜日の夜なんてすごく幸せなんじゃないかって思う。
こういうのを将来の夢っていうのかもしれない。
小学生の時点でそんなこと卒業アルバムに書いてる子供なんて嫌だな。
僕に夢はないので誰かと夢を見るのが夢。
そろそろ夢を見る時間かもしれない。
テーマ:勉強
もう四回目ともなるとルーティーンになっている。
というか、もう週末でその週末も終わりに近づいているのかと思うと驚く。
ついこないだブログ何書こう・・・って悩んだ記憶があるのにもう次の記事を書くタイミングが来てしまっていた。早い。
今、勉強って楽しいか楽しくないかって分類すると、意外と楽しいって感じる事のほうが多い。
それはきっと自分の興味のある事を選んで勉強できるから、とか自発的にする勉強だから、とかそんな要因があるんだと思う。元々机に向かえば勉強が苦にならないタイプだったから、机にさえたどり着いてやり始めてみれば新しいことを知っていくことが楽しいと思える。そのモチベーションを維持するのが難しいんだけれど。
ただ、これが学生時代になるとどんな風に感じていたんだっけ、って振り返ることになる。子供の頃は勉強しなくても勉強ができるタイプだったからあんまり勉強をする、って感覚がなかった。学校の授業と宿題してれば普段のテストなんかは余裕でクリアできるレベルだと思ってた。
その感覚のまま中学・高校と進んでいったものだから途中で勉強するって感覚を身に着ける必要があったはず。いや、実際に今の自分に身についてる「机にさえ向かえば勉強をし始める」って感覚は高校の時に身に着けた記憶がある。
ちゃんとテストに合わせて勉強したり、受験のために勉強しなきゃって思い始めたのは高校からで、それこそ効率とかよく分からないまま(今もわからんけど)ひたすら机に向かい続けた記憶がある。結局、推薦使ったからまともに受験しなかったことになる。そして人生で一度もまともに受験をしないまま大学を卒業した。
勉強歴を振り返ると、意外とやっぱり勉強を苦にしないタイプなんだなって、実感してる。授業も結構楽しく受けてた気がするし、大学の講義もさぼったりもしてたけどなんだかんだちゃんと受けるほうが多かったし、単位落とした記憶も数えられるほど。落とさないような講義を選んでたのもあるけど。
で、社会人になってからは単位もないし成績もないし受験もないから、どこを目指して何を勉強すればいいのか、っていう目標設定が本当に難しい。
何かを勉強してその結果を見て、継続したり変更したり修了したりってプロセスが無いから先が見えない。個人的には、その問題をクリアするために資格試験を一つの目標として動くことが多いけれど本当にそれが正しいんだろうかって。
資格のない、でも大事な勉強もあるし、なにより資格を取るなら何かに役立てたいなんて俗な考えも出てきてしまう。そうなると勉強したいから目標に資格試験を設定するのではなくて、役立つ資格のために勉強するような形になる。まぁそれも勉強のモチベーションだからいいと思うんだけどね。
一生勉強。多分それは本当にそう。
あの時、勉強しとけばよかった~って振り返る学生時代。これも本当にそう。
あと社会人になってから出会う人は自分より学歴のいい人が多い。これは何となく経験上。自分と同じぐらいの人はどこで何をしてるんだろう。あんなにいっぱいいた同級生はどこで何をしてるんだろう。
少しだけ学歴コンプレックスみたいなのを感じてたりもする。勉強しなかった自分が悪いのだけれど。今に自信を持てるならそんなことも感じたりしないのかな。過去にこだわりすぎるのは意味がないとも思う。
毎年新年を迎えると勉強始めようって思って夏ぐらいに一通りやり切った気分になる。
大体取れそうな資格を選んで勉強してるから大体取れるし、取ったら満足して勉強しなくなる。去年取った資格の内容もう忘れたしね。
今年こそは、あの資格を取ろうと思っている。まだ言わないけど。大した資格じゃないから。
今の仕事をしていて今の環境にいて、あれを勉強したい・あれを取りたいって思える自分の残りかすみたいな向上心に少しだけ感謝する。ほんとに。
テーマ:自分の考え
三週目にもなると、少しルーティーンに組み込まれてきた感覚がある。
いつものようにシャワーを浴びながら何のテーマにしようか迷っているなんて、もう毎週のルーティーンになったのも同然だと思う。
ということで、テーマを考えた。
そもそもこれをやり始めたのは自分の考えがあまりなくて人前で出ないから言語化する練習をしようと思ったからなので、ある種まとめみたいなテーマにしてしまったのは少し間違えたのかもしれないと思っている。
でも、これも残しておきたい事だから記事にして残したい。だから書く。
高校生から大学生、そして社会人になっても変わっていない考え方というものが自分にもあって、それは偏見かもしれないし信念かもしれない。てことで書きましょう。
●楽しみは自分で見つけるもの、作るもの
これはおそらく本当にずっと思い続ける考え方だと思っていて、基本的に人から誘われることが少ない(悲しい・・・)こともあって、自分が楽しみたいと考えるなら自分から動いて物事を作っていったり、人を誘わないと何も変化が起きないし、楽しむことはできないって考え。だって誘ってくれないし。受動的じゃなくて能動的にしていこうよ。
自分が企画した物事に限らず、誰かが考えたイベントだったりにしてもその人が考える楽しいに寄り添うのは大事だけど、それがすべて自分の楽しさに繋がる訳じゃないから、自分の思う楽しさを作っておくのも必要だと思う。
もっとも経験上、自分の楽しさばかり追求するとコミュニティでうまくいかなくなりがちなので要注意。
この考え方は個人的には気に入っている。
楽しくなかったな~なんて思う前に自分が楽しくできる方法があったのか、どうすれば楽しかったのかを考えるほうが多分次楽しくなる。次が楽しくならなそうならもう行かなくていい場所だと思うから忘れよう。
●笑いで人を傷つけない
芸人のポリシーかよ、って言われそうな言葉だけど、周囲から笑いを重視されがちな関西人として割と大事にしていること。
いやまぁ面白いとは言われたいし、思われたいのでボケるしツッコむしいじるしいじられる。その中でも、ボケるのは自分を下げたりあえて上げたりして自分を変化させられるから気にならないんだけど、他人にフォーカスするツッコミといじり、って分野はすごく気を遣うし遣う必要がある。
意外とそのツッコミが人を傷つけてるかもしれない。それは本当に嫌だ。
だって他の人が笑ってるのに笑いを取った本人が心で泣いているとか一番楽しくないなって思うから。だったら俺をいじってくれーと素直に言えるのはある意味とことん傷ついてきた賜物だったりするかも。
自分を自分で下げる分にはどこまででも下げられるしそれで笑ってくれればいい。本当に。
だからさ、楽しい場所を自分で作って笑いを提供できればいいじゃんって、それもう芸人の単独ライブだよね。
テーマ:趣味の事
先週やりますって書いた翌週に投稿するのを忘れそうになってしまった。
趣味の事ってすごく幅広いテーマなんだけど、自分の趣味はこれで、こんなことをしてて、これが楽しい。みたいな自己紹介的な話より、その趣味をなぜ趣味としていて、好きになった理由とか要因みたいなことを振り返ったほうが身のためになりそう。
背景を語ります。
まず、普段人に趣味を聞かれたときに答えている趣味は、フットサル・音楽関連・カメラの三つということを前提にしておきたくて。
この三つだと、音楽以外は学生時代の部活が関連していて、フットサルはサッカー部だったこと、カメラは写真部だったことが大きい。
といっても、サッカー部を辞めたらボールを蹴らなくなる人も多いし、写真部を引退したのちにカメラは埃かぶっているなんて人も多い。
にもかかわらず、なんで趣味として公言していて楽しんでいるのかというのが今回考えてみたいこと。
なんで自分がこれ好きなんだろうっていうのを案外考えたことがない。
前回の恋愛もそうだけど、わりと感覚で物事を考えてそれを言語化しないことが多いから、いざという時に言葉にならない。
フットサル(サッカーも含めて)を趣味にしているのは、楽しいからっていう感覚的なものが一番大きいのだけど、それに加えて唯一できるスポーツだから人との関係性を保ちやすかったり劣等感をそこまで感じなくていいから、なんて部分もあるような気がする。趣味にできるぐらい気軽なスポーツはほかにもバスケットボールやテニスやバドミントンなどなど存在するけど、どれもまともに経験していないこともあって、周りとうまくやれる自信がない。
もちろん、遊ぶ中でプレーする機会があれば楽しく過ごせるんだけど、普段のフットサルと同じくちゃんとしたコート・ルール・周りのテクニック的なゲームを成立させる要素のレベルが高くなると、本当に楽しくプレーができるのかと考えるとできない気がする。
よほどそのスポーツが好きなのであれば別だけど、たまにレクリエーションとしてするスポーツとして、まったくの未経験のものを実施するのは意外と気持ちのハードルが高い。だってうまくできる自信ないし、その状況を受け入れて向上心を持って頑張りたいほどそのスポーツに愛着がない。
だから、過去に経験してきたサッカーの流れを汲んだフットサルを趣味としている。
単に楽しいだけじゃない。いや楽しいんだけどね。
カメラ(写真)も部活由来ではあるけど、部活に入ったこと自体がカメラを趣味にしようと思っての行動だから部活に入った時の気持ち、今続けている気持ちの両方を整理したほうがわかりやすい。
部活に入ったのは大学から。高校までは上述のサッカー部に入っていたから、運動部じゃなくて文化系の部活やサークルにしようと思っていた。それは今までと違うことをしてみたかっただけ。あと運動部は部費高いし練習日も多くて自由がない。なんてことを思っていたような気がする。
そんな中で写真部を選んだのは、音楽系に比べて気軽で、今後も続けやすそうだったこと、ぐらいの簡単な理由だった気がする。
なんだかんだで四年間を過ごしたその生活は楽しかったけれど、引退してそこでカメラを置いてしまうこともできたのに、いまだに続けているのはなぜなんだろうっていうのが今回考える必要がある事。
写真を撮るのは楽しいけれど好きかといわれるとそうでもない気がする。シャッターを切れば切るほど自分のセンスのなさに絶望していくことになるから。
それでも継続しているのは、人とつながりやすい趣味だからという部分が大きいと思っている。いや思っているというより実際に繋がりやすかった。
一人で完結する趣味なんだけれど、人と共有しやすい部分も大きい。撮影地だったり成果物、技術だったり。趣味人口が多くて誰でも気軽にできるので社会人サークルの人口も多い。これはフットサルも同じ。フットサルは一人で完結しづらいけれど写真は一人でできる。それでも人とコミュニティを作るということは、人とつながりたいと考える写真趣味の人間が多いということでもある。
だから、いま継続して写真を趣味にしているのはコミュニケーションツールとして便利だから。というのが楽しい以外の一因と思っている。でもほんとに撮影した写真の構図を見ると全然センスがないなって思う。撮影するのは楽しいんだけどね。
音楽だけは学生時代に楽器を演奏したこともないし、大学に入るまでライブに行ったことすらなかった。
だけど今、演奏することも普段聞くことも探すことも行くこともすべてを趣味にしている。
なんで好きなんだろう、趣味にしているんだろうって改めて考えるとよく分からない。
本当に。ちゃんと考えてみたけど分からない。
コミュニケーションツールとして便利だったり、人との接点にもなるし、気持ちの安定になるから??うーーん。なんとなくしっくりこない。
ほかの趣味と違って自室でできる趣味だから(演奏したり)そういう意味ではテレビゲームだったり、映画鑑賞とかと似た分類なんだけど、なんでそれを趣味にしているのか・・・