下書き供養をする。いやしなくてもいいか。

今週のお題「下書き供養」

実に三週間?もしかしたら四週間ぶりに更新する。

当初は毎週のつもりが気づけば週明け更新だったり、一日に二度更新したりバラバラになっていたけれど、とうとう更新することを放り投げてしまっていた。

反省しよう。

 

反省のつもりではないけれど、おそらく三週間ぶりの更新だということにして、3回記事を投稿する。これで帳尻が合うはず。

 

ということで久しぶりの記事は今週のお題から拝借した。

普通に自分の書きたい思いもあったんだけど、3回も更新しないといけないので最初の更新は他人の土俵で勝負したい。お題ってなかなか思いつかなくて難しいし。

 

下書きを供養する。

よくTwitterとかで見かける行為で、たしかに自分自身も「なんだこの下書きメモは。」なんて思うような下書きがあったりする。

大体が見返すと面白くもなんともない。なんなら意味が分からない話だったりする。そういう時はあっさり消す。もう黒歴史行きみたいなものなのでサクッと消す。

3週間も更新していないこのブログにはもちろん下書きなんてない。

あればそれ載せてお茶濁せているはず。

 

個人的な感覚としては、

下書き供養といいつつ、それを言うことによって投稿へのハードルを下げつつ自分の面白いかもって思った事柄とか感想を載せる感覚はせこいな~~って思ったりする。

自分もやっちゃうから強くは言えないけれど。

写り悪いですって言いながら、めちゃくちゃ綺麗な自撮りをネットに流す人と同じ感覚だよね。

何度も言うけど、自分もやっちゃうから強くは言えない。自撮りはしたことない。

 

だからもう、下書きに残すぐらいなら無理やり仕上げて投稿するか、残して結局消すか。って選択をついついしてしまう。

特に無理やり仕上げるスタイルは多い。今書いているこの文章だって最後には書ききれなくなって、適当に切り上げて終わらせるなんて可能性が高い。

ていうかおそらくほとんどがそうなる。だってその時自分が思ったことを残しているわけだし、思ったことがきれいに文章として流れていくことなんて、ほとんどない。

書いていったらなんか途中で終わってしまった・・・みたいな感情のほうが多い。気がする。

 

結局のところ、一度死んでしまってから供養してあげるんじゃなくて、生きているうちにしっかり表舞台に出してあげて、最低限生かしてあげたいよね。って思うんだよ。

人も文章も。死んでから思い出すより生きているうちにいっぱい綴っていこうよ。

 

なんて気持ちを持って毎週ブログ書こうとしています。書いてないけど。