テーマ:さいきんのこと

本日2本目。

帳尻合わせるのに必死になっています。睡眠時間が減っていく。

今回のテーマは自分で考えています。ざっくりしすぎているのは自分でも自覚している。

 

最近のこと、っていうほど最近ではないけれど1か月ちょっと前(ちょうど関西の外出自粛が緩くなったころかな?)に友達と家で飲み会をした。

その時に、ふと仕事の話になってもうすぐ昇進する、とか仕事が変わってきた、とか様々な話が出てきていて。

勿論、仕事が大変だって話もよく出る。むしろこっちのほうがメインになるのが世のサラリーマンの常だと思う。自分自身仕事は大変だし働かずに生きていけるならそうしたい、って良く思う。

 

そんな中で、お前は社会に適合できていて羨ましいって事を言われた瞬間があった。

特に何の変哲もない言葉なんだけどずっと自分の中に引っ掛かり続けていて。

どこで引っかかっているのかと考えていたら、社会に適合するって定義は何なんだろう。って事と、本当に自分が社会に適合しているんだろうか。って事と、仮にそう見えるなら簡単に適合している訳ではない。って事が引っかかっているのだと気づいた。

 

まず社会に適合って定義は何だろうってことから。

社会ってなんだ?ってことまで話始めると長くなるし、社会学部卒としてはちょっと楽しくなりそうなので割愛しますが。

きっと、自立した生活があって会社勤めをしていて精神的にも落ち着いている。なんて良くも悪くも平凡な事例が適合しているって定義に繋がるのかな、って思っている。

 

じゃあさっきの定義を自分に当てはめるとどうなのか、って思うと確かに生活はしっかりしていて一応会社員なので毎月定期的に給料は入る。(いつ会社が潰れるか分からないけど)そして、対外的には落ち着いた人間だと見えているはず。

そうすると適合した人間のように見える。

だけど、それは自然とできている訳ではない。

いつも将来の不安はあるし仕事だってうまくいくときもいかないときもある。そんなのは誰にだってある。

 

なんとまとめればいいのか、が分からなくなってきて困った。

社会に適合するのも大変だし、難しいのもわかる。

だけど、それを適合できないからって君はできるからいいよな、自分はできないからしないって避けるのはあまりに都合がいいなって思ってしまった。

ただ働きたくないだけなんじゃないかって。

 

逃げたり避けたりするのは、全然問題ないし壊れる前には逃げるのが正しいと思う。

実際自分自身、前職ではもう壊れる、自分には向いていない、ここに居場所はない、って思って逃げたわけだし。

その過去がある時点で私が社会に適合できた人間かどうかなんて分からない。

 

きっと、みんな色々と社会でうまくいかない日々を過ごしていて、それでも折り合いを自分の中で無理やりつけてやり過ごしている人が多いと思う。

眠いので終わります。