おうち時間の過ごし方なんて綺麗なものはない

今週のお題「おうち時間2021」

 

GWを挟んだせいか完全に曜日感覚を失っていた。

気づいたら通常の日曜日が過ぎていた。

 

一切ブログを開いていなかったけれど、お題の予想はついていた。

というかお題になってなくとも、ちょうどいいテーマになるなって思っていた。

緊急事態宣言が出たことも踏まえて、家で過ごす良い方法ってどんな方法なんだろうって気になっている。

 

ここで一つ大きな部分が、緊急事態宣言が出ている(外出がしづらい)という点。

いつもの生活で家で楽しく過ごすというのと、家にいることが半分決めつけられているのでは、モチベーションに違いが出る。

ということで、そのへんも併せて考えたり考えなかったり。

まず基本的に休日に一人で家に居るよりも出かけたいタイプなので、どうやって時間を過ごすかを考えないといけない。

なんとなくぼーっと過ごすともったいないなって思うけれど、普段から家で何かをしているわけではないので、手持ち無沙汰になる。

その割にブログの更新は忘れていたのですが。

 

長期休暇のたびに同じような悩みを抱えてしまうので、少しずつ家で過ごすアイテムが増えてはいるものの結局のところ一人がつまんねえ!って気持ちが出てきたり。

今回のGWは人と会うのも少し憚られる状況だったので、事前にギター買ったりゲーム買ったり本買いこんだり酒買ったり料理したくて食材買ったり、まあ書き出すだけでそれなりにいい時間を過ごせる気がしていた。

 

ギターも弾いたしゲームもそこそこ進めた。本は読んでないけれど酒は飲み進めたし料理もなんだかんだ作り置きするぐらいは作った。

にもかかわらず、何とも言えない不完全燃焼感が体全体を包んでいるのは何故なのか。

明確な答えは今の自分にはない。

ただ、おそらく人と会っていない中で全てを進めたから、じゃないかと推測している。

人と会って物事をするというのは何気に体力を使う行動で、その分達成感だったり満足感に楽しさを加えて自分自身に還元できるものだったり、するような気がする。

 

人と会ってないからなんか疲れてもないし微妙に楽しくなかったな~。

やりたいことはそれなりにやったんだけど。

という感じ。

 

GWにやりたいことを書いた。

ほかの人もあれしよう、これしようって思い描く休日があると思うんだけど、それらをすべてきれいにこなせるような素晴らしいおうち時間をしっかり過ごせる人間なんて世の中にいるのだろうか。と思ってしまう。

だいたいどこかで気が抜けてやる気をなくす。

そう思っている自分はダメ人間なのか向上心のない人間なんだろうか。

 

実は、そうやって時間を無駄遣いしたと心のどこかで思っているが故の不完全燃焼感というのも一つあると思っていたり。

今週のお題はお弁当らしい。

今週のお題「お弁当」

 

お弁当。

お弁当ってどういうものを指すのか、ってところがまず気になる。

箱にご飯が詰まっていてその上に梅干しという形式の「日の丸型」はまず弁当と考えて間違いない。

箱にご飯が詰まっていて、区切られて別の場所に卵焼き、ウインナー等々のおかずを入れた「分離型」もこれはお弁当と一般的に考えて間違いないはず。

ここまでは、お弁当のチェーン店にありがちな(日の丸型の売ってるお店見たことないけど)形式なのでお弁当でしょう。

 

箱にご飯が詰まっていて、その上にカレーやトンカツをのせたりかけたりする「どんぶり型」は果たしてお弁当というのだろうか。

上述までのご飯とおかずが同一の箱に盛られている所は同じだけれど、世間での呼ばれ方は、〇〇丼だったり〇〇ライスと呼ばれる形式と考えられる。

外装や中身の分類はほぼ同じにもかかわらず。

 

ここで区別の仕方で気づいたのは、おかずの種類数で判別しているのか、という点。

分離型は、トンカツが入っていても下にパスタが敷いていたり、お漬物が入っていたり、おかずの種類数が複数のためお弁当となる。

一方で、どんぶり型はご飯に対しておかずが対に1個だけというものがほとんどと思われる。カレーにはカレールーのみ、かつ丼にはトンカツのみ(玉ねぎ入ってるとかはあるけれど、それはおかずじゃないはず。)

そうなると、日の丸型はお弁当ではなく、梅干し丼と呼ばれるのが正しいのではないかと思われるが、例外的な扱いとしたい。梅干し丼ってなんかまずそうだし。

 

さらに、ここまでは箱にご飯が詰まっているパターンのみであって、

箱にパスタ麺や焼きそば麺が入っているパターンについてはお弁当と呼んでいいのか。

パスタサラダは美味しいし食べやすいし野菜もとれるし、ってことですごく好きなコンビニ飯なんだけれど、お弁当として差し入れされたら少しツッコミたくなるかもしれない。

ただ、この場合差し入れする側はお弁当の差し入れだと申し出るのがベターのため、お弁当扱いとしても良いのか、とも思う。

差し入れする際に、パスタサラダの差し入れをすることがあるのかどうかはさておき。

個人的にはめっちゃうれしい。食べたい。

 

ここまでお弁当論議の風呂敷を広げたものの、外でピクニック的に食べたらなんでもお弁当だよ。多分。

春のぽかぽか陽気でシート敷いてお弁当食べようよ。

いや、公式お題のネタもしかして切れてきてる?

今週のお題「間取り」

らしい。

確かに間取りって大事なことだし、新生活っぽいけどそんなことわざわざお題にするあたり、お題のストックがなくなっていると推測される。

それはさておき、今週はまともに更新できています。本当はあともう一投稿しないと帳尻が合わないのですが。

 

今まで住んできた部屋はそこまで変な間取りもなかったし、友達や親戚の家を含めてもそこまで変な間取りを見たことがない。

そこでLDKってなんなの。って疑問だけはずっと持っているのでそれを書きたい。

 

本当にそのまんまなのだけど、LDKってよく言うし、DKとも言うしKも言う。

どこからがLでどれがDで何をもってKとするのか、定義というか境界線みたいなのが分からない。

きっとウィキペディアを見ればほぼほぼ解決する問題なのだろうけど、それをしてしまえば面白みに欠ける。

 

個人的にはLとDの境目に困るし、1Rの場合1LKのパターンもあるんじゃないかと思ってしまう。

なんと微妙なニュアンスで使い分けられているのだろうか。

ちなみに私は今1Kに住んでいて、キッチンだけは確実に分かれているし、そこで食事をするわけじゃないからそこは確実にKといえる。

だがしかし、その後食事を摂るスペースがDでもLでもなく1に押し込まれているのは納得がいかない。

Lでもあるし、Dでもある。そんな使い方をしているのだから1LDKといっても差し支えないと思う。よって今私は1Kという名の1LDKに住んでいる、としたい。

なんだったら、寝室もついているから(同じ空間だけど)2LDKとしても良いのかもしれない。いや、さすがに2部屋はないから1LDKが限界か。

1(寝室)LDKに加えて書斎付き。どこの豪邸に住んでいるんだといいたくなる。

 

物事なんて、捉え方次第でどうとでもなる。そう思うような事例。

まあ万が一この部屋が1LDKで物件情報出ていたりしたら詐欺を疑うけれど。

住んでいる身だからこそ1LDKなんて言っているだけ。

 

そんな幸せな物件に住んでいます。

テーマ:さいきんのこと

本日2本目。

帳尻合わせるのに必死になっています。睡眠時間が減っていく。

今回のテーマは自分で考えています。ざっくりしすぎているのは自分でも自覚している。

 

最近のこと、っていうほど最近ではないけれど1か月ちょっと前(ちょうど関西の外出自粛が緩くなったころかな?)に友達と家で飲み会をした。

その時に、ふと仕事の話になってもうすぐ昇進する、とか仕事が変わってきた、とか様々な話が出てきていて。

勿論、仕事が大変だって話もよく出る。むしろこっちのほうがメインになるのが世のサラリーマンの常だと思う。自分自身仕事は大変だし働かずに生きていけるならそうしたい、って良く思う。

 

そんな中で、お前は社会に適合できていて羨ましいって事を言われた瞬間があった。

特に何の変哲もない言葉なんだけどずっと自分の中に引っ掛かり続けていて。

どこで引っかかっているのかと考えていたら、社会に適合するって定義は何なんだろう。って事と、本当に自分が社会に適合しているんだろうか。って事と、仮にそう見えるなら簡単に適合している訳ではない。って事が引っかかっているのだと気づいた。

 

まず社会に適合って定義は何だろうってことから。

社会ってなんだ?ってことまで話始めると長くなるし、社会学部卒としてはちょっと楽しくなりそうなので割愛しますが。

きっと、自立した生活があって会社勤めをしていて精神的にも落ち着いている。なんて良くも悪くも平凡な事例が適合しているって定義に繋がるのかな、って思っている。

 

じゃあさっきの定義を自分に当てはめるとどうなのか、って思うと確かに生活はしっかりしていて一応会社員なので毎月定期的に給料は入る。(いつ会社が潰れるか分からないけど)そして、対外的には落ち着いた人間だと見えているはず。

そうすると適合した人間のように見える。

だけど、それは自然とできている訳ではない。

いつも将来の不安はあるし仕事だってうまくいくときもいかないときもある。そんなのは誰にだってある。

 

なんとまとめればいいのか、が分からなくなってきて困った。

社会に適合するのも大変だし、難しいのもわかる。

だけど、それを適合できないからって君はできるからいいよな、自分はできないからしないって避けるのはあまりに都合がいいなって思ってしまった。

ただ働きたくないだけなんじゃないかって。

 

逃げたり避けたりするのは、全然問題ないし壊れる前には逃げるのが正しいと思う。

実際自分自身、前職ではもう壊れる、自分には向いていない、ここに居場所はない、って思って逃げたわけだし。

その過去がある時点で私が社会に適合できた人間かどうかなんて分からない。

 

きっと、みんな色々と社会でうまくいかない日々を過ごしていて、それでも折り合いを自分の中で無理やりつけてやり過ごしている人が多いと思う。

眠いので終わります。

下書き供養をする。いやしなくてもいいか。

今週のお題「下書き供養」

実に三週間?もしかしたら四週間ぶりに更新する。

当初は毎週のつもりが気づけば週明け更新だったり、一日に二度更新したりバラバラになっていたけれど、とうとう更新することを放り投げてしまっていた。

反省しよう。

 

反省のつもりではないけれど、おそらく三週間ぶりの更新だということにして、3回記事を投稿する。これで帳尻が合うはず。

 

ということで久しぶりの記事は今週のお題から拝借した。

普通に自分の書きたい思いもあったんだけど、3回も更新しないといけないので最初の更新は他人の土俵で勝負したい。お題ってなかなか思いつかなくて難しいし。

 

下書きを供養する。

よくTwitterとかで見かける行為で、たしかに自分自身も「なんだこの下書きメモは。」なんて思うような下書きがあったりする。

大体が見返すと面白くもなんともない。なんなら意味が分からない話だったりする。そういう時はあっさり消す。もう黒歴史行きみたいなものなのでサクッと消す。

3週間も更新していないこのブログにはもちろん下書きなんてない。

あればそれ載せてお茶濁せているはず。

 

個人的な感覚としては、

下書き供養といいつつ、それを言うことによって投稿へのハードルを下げつつ自分の面白いかもって思った事柄とか感想を載せる感覚はせこいな~~って思ったりする。

自分もやっちゃうから強くは言えないけれど。

写り悪いですって言いながら、めちゃくちゃ綺麗な自撮りをネットに流す人と同じ感覚だよね。

何度も言うけど、自分もやっちゃうから強くは言えない。自撮りはしたことない。

 

だからもう、下書きに残すぐらいなら無理やり仕上げて投稿するか、残して結局消すか。って選択をついついしてしまう。

特に無理やり仕上げるスタイルは多い。今書いているこの文章だって最後には書ききれなくなって、適当に切り上げて終わらせるなんて可能性が高い。

ていうかおそらくほとんどがそうなる。だってその時自分が思ったことを残しているわけだし、思ったことがきれいに文章として流れていくことなんて、ほとんどない。

書いていったらなんか途中で終わってしまった・・・みたいな感情のほうが多い。気がする。

 

結局のところ、一度死んでしまってから供養してあげるんじゃなくて、生きているうちにしっかり表舞台に出してあげて、最低限生かしてあげたいよね。って思うんだよ。

人も文章も。死んでから思い出すより生きているうちにいっぱい綴っていこうよ。

 

なんて気持ちを持って毎週ブログ書こうとしています。書いてないけど。

卒業シーズンらしい

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

ちなみに今週は週末どころか週明けも仕事が忙しくて投稿できなかった。

週末はそこまで忙しくなかったので、先にしとけばよかったなんて思う。

思うだけで毎週やらかしてるから反省してない。

 

というわけで、毎週のごとく人様のテーマを拝借。

卒業シーズンなので卒業がテーマになっているようです。

 

学生のように学校を卒業したのはもう数年前で、今更その卒業を言い出すのも面白くないな~と思ってしまうので、何か別の卒業の話をしたい。

で、なにかないかな~って探したけれど、最近何かを卒業した記憶がない。

強いて言うなら、一人暮らしを始めてからサブスク童貞を卒業したのがあるか・・・。

 

特に、アップルミュージックの解禁が大きかった。

なんせ今までCDをPCに取り込んでからスマホに移すって作業をしていたから、CDは借りたり買ったりする必要があって、本当にめんどくさかった。

なんとなく、お金を払って聞く権利を継続的に持ち続けるって行為に、違和感を持っていたし、やっぱりCDは買うものだって認識が強かったから今までしていなかったけど、

今は、毎月1,000円前後で好きなアーティストだけじゃなくてそこから派生した音楽を手に入れられる。ってことに感激しているしそこから抜けられないようになっている。

 

それでもやっぱり、どうしても手に入れたいものは直接CDを買う方がいいなって思う。

インディーズになればなるほど、直接買わないと手に入らないものも多いし、直接買うことで、アーティスト本人への支援になったりするのかなって思うから、買うことを選びたい。

音楽の場合はそんな感じ。

 

DAZNにも入っていて、これは一人暮らし以前から加入してるから今回の卒業とは少し違うんだけど、本当にこのサービスは素晴らしいと思う。

スカパーもずっとJリーグの中継をしてくれていたから、悪く言えるものではないんだけど、値段は正義。ということで、月2,000円でおつりがくる程度で見られて、しかも日本以外のサッカーやスポーツも見られるなんて正直スカパーや他の衛星放送(スポーツ関連)と比較しても圧倒的だと思っている。

だってアンテナつけるのめんどくさそうだったし。ネットで見られるDAZNのほうが楽だよね。

 

毎月数千円でサッカーと音楽の趣味が充実しまくっているので、サブスク童貞を卒業してよかったと思う。

今週のテーマは花粉らしい

今週のお題「花粉」

 

今週は久しぶりにいつも通りに投稿できなかった。

というのも、緊急事態宣言が解除されて友達とご飯に行った結果朝まで宅飲みすることになり、疲れて何もできなかったから。

日常的にお酒を飲む機会がなくなっていたからか、とにかくすぐ酔うし疲れる。

二日三日連続で飲み会なんてよくやってたな、なんて思っている。

 

ふと書いた友達って言葉に悩まされる事が未だにある。

思春期が過ぎたからってそんな悩みがなくなるなんてことはなかった。

なんてことをテーマにしようか迷ったけれど、今回も普通に人様のテーマを拝借した。

 

旬のものを食べる方が美味しいのと同じで、旬のものを書いた方が面白いと思った。

 

花粉の季節が訪れた。

これまでは本当に自分とは関係のない話だと思っていた。

今年は違った。

めっちゃクシャミは出るし、目は痒いし、鼻は詰まる。これが花粉症か、と実感した。

まだ診断されてないから自己判断だし認めなければ花粉症ではないけれど。

対策をしないとな~なんて思っているうちに夏を迎えて花粉がなくなり、秋を迎える。

そして、また花粉に苦しめられる。

そんな一年の経過をこれからは過ごすのだと思うと、残念な気持ちになる。

 

街中でも社内でもクシャミをする人が増えていて、風邪なのか花粉症なのかはたまたコロナウイルスの影響なのか、疑心暗鬼になる。

そういう意味では、良くも悪くもマスクがあるおかげでいろんなものをごまかせているような気もする。まさに免罪符。

今までは本当に意識したことがなかったから、何とも思ってなかったけれど、ふと気づくと全身何となく粉だらけのような気がしてしょうがない。

 

なんだか普通の日本人になってしまった。

中肉中背の花粉症持ちのサラリーマン。よくいるタイプの人。

別段珍しい技術も趣味も、思想も持っていない。ただの人。

花粉症から無理やりそんな話にもっていこうとしたけれど、それでいいのか悩む。

悩んだところでどうでもいいので、好きなように書くのですが。