エモい、という感情表現について
僕は音楽が好きです。
キリンさんより好きです。
何故音楽が好きなのか問われると答えに困りますが、
聞いている時にふと浮かび上がる「エモさ」が心地良いから、なのかなと思っています。
それは高揚感のような焦燥感のような空虚感のようなよく掴めない「謎の感情」ではあるのですが、そこに確実にある感情なのです。
エモいって表現はすごくその曖昧さを上手く誤魔化している気がして、使い勝手がいいなあなんて思ったりするわけです。
そう、このブログをお読みの貴方!お察しがいい!
(また保存し忘れてここから以降の文章が消えましたので、適当になっていきます)
僕がブログを書くのは自身がエモくなった時が多いのです。
じゃないとこんなに文章書けないよね。自分自身のことばっかり。
色々な感情を抱えた時に、そのエモさを文章にして吐き出すような場所なので。ここは。
ここ最近毎週飲み会しては朝帰りを繰り返すダメ人間っぷりだとか、今の仕事やる気なくして転職しようとするも何とも言えない求人情報ばかりでそれすらやる気出てなかったり、訳もわからなく東京に行きたくなる衝動とか会いたい人がいっぱい居ることとか。
未だに自我というものを操れてないようです。自分自身の存在に悩む日々です。
人に必要とされなくなった時は怖いと思いながらも、必要とされる役割を果たし続ける自信がなくなってきていることとか。
街ゆく人々はどんな事を考えて、どう生きているんだろうって不思議に思えて、世の中実はNPCだらけだったらどうしようみたいなゲーム脳になったり。
また纏まらない文章になってきてしまって、困ったけど、意外とそんな文章が好き。
自画自賛。
自分がしっかりと生きている実感が欲しい。
なんて病んだ高校生のブログみたいな事を素直に書きませんが、
楽しさは掴みに行くものだよなあ、って。